俺は野球観戦が趣味である。まぁ、それが趣味と言えるかはよくわからんが、とりあえず野球場に行って野球を観るのが好きである。入場ゲートをくぐって、通路の先にグラウンドが見える瞬間の興奮は他の何物にも変え難い。
今年は特によく球場へ足を運んだ年だった。
インボイスSEIBUドームに始まり…
明治神宮球場…
東京ドーム…
横浜スタジアム…
福岡Yahoo!JAPANドーム…
千葉マリンスタジアム…
延べ10数試合観に行った。我ながらよく行ったもんである。しかもそのほとんどが単独観戦である。少しは慣れたと言えば慣れたのだが、隣の座席に夫婦やカップル、子連れの家族などが座ったときの居心地の悪さといったら半端なものではない。友人や彼女と行ったこともこれまでにあるが、やっぱり野球観戦は複数で行く方が断然よい。
さて、今シーズンを振り返るのはここまでにしてやっと本題へ。本題は、来シーズンの観戦計画を立てるということなのである。
今年は特によく球場へ足を運んだ年だった。
インボイスSEIBUドームに始まり…
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明治神宮球場…
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東京ドーム…
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横浜スタジアム…
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福岡Yahoo!JAPANドーム…
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千葉マリンスタジアム…
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延べ10数試合観に行った。我ながらよく行ったもんである。しかもそのほとんどが単独観戦である。少しは慣れたと言えば慣れたのだが、隣の座席に夫婦やカップル、子連れの家族などが座ったときの居心地の悪さといったら半端なものではない。友人や彼女と行ったこともこれまでにあるが、やっぱり野球観戦は複数で行く方が断然よい。
さて、今シーズンを振り返るのはここまでにして
夜勤のバイトが終わって、マンションに帰ったら、管理人のおばさんが通路を掃除していた。俺がいつものように「ぉはようございまーす」と挨拶すると、「今バイトの帰り?」と聞かれ、少し話をした。
管「今バイトの帰り?」
俺「はい」
管「夜勤?」
俺「はい、そうです」
管「大変ねぇ」
俺「(笑いながら)そうですね」
管「それじゃ、またね」
ってな感じの会話だったのだが、後から振り返って「こんな寒い中、管理人さんも大変ですね」くらいのことを言えばよかったなと思った。俺の場合、こういうことが多いんである。つまり、後から「ああ言えばよかった」と思うことが多々あるのである。これは俺に限った話ではないと思う。結構こういう人は多いんじゃないかな。
逆に、こういう経験があまりない人、つまり、臨機応変に会話を転がすことが出来る人もいるだろう。恐らくはそういう人が「コミュニケーション力のある人」なのだろう。うーん、羨ましい限りである。
サウイウモノニ ワタシハナリタイ
管「今バイトの帰り?」
俺「はい」
管「夜勤?」
俺「はい、そうです」
管「大変ねぇ」
俺「(笑いながら)そうですね」
管「それじゃ、またね」
ってな感じの会話だったのだが、後から振り返って「こんな寒い中、管理人さんも大変ですね」くらいのことを言えばよかったなと思った。俺の場合、こういうことが多いんである。つまり、後から「ああ言えばよかった」と思うことが多々あるのである。これは俺に限った話ではないと思う。結構こういう人は多いんじゃないかな。
逆に、こういう経験があまりない人、つまり、臨機応変に会話を転がすことが出来る人もいるだろう。恐らくはそういう人が「コミュニケーション力のある人」なのだろう。うーん、羨ましい限りである。
サウイウモノニ ワタシハナリタイ
11月に入ってから、丸1日休み(学校もバイトも休み)だったのは最初の11月1日のみ。それも学校をサボって無理矢理休みにした1日。何をするでもなく、家で無為に過ごしただけだったような気がする。今思えば非常にもったいないことをした。
たまには、朝から晩まで自分のペースでゆったりと過ごしたいもんである。カメラを持って、電車に乗って、ぶらりとどこかへ出掛けたいもんである。
もし、学校もバイトもない2日連休なんてもんが出来たら…なんてことを考えてみたりする。実際は、家でボケ~ッと過ごすかもな。いや、やっぱりどこかに出掛けるだろうな。
だが、現実には2日連休なんて有り得ない話である。1日の休みすらないのに。同じ「休みがない」日々でも、もっと充実した「休みがない」日々を送りたいもんだ。
今度、学校サボって、電車に乗って、どこかへ写真でも撮りに行こうかな。
でも、寒いんだろうな。
でも、行き先もないんだろうな。
結局、今まで通りの日常に留まることを選ぶんだろうな。
たまには、朝から晩まで自分のペースでゆったりと過ごしたいもんである。カメラを持って、電車に乗って、ぶらりとどこかへ出掛けたいもんである。
もし、学校もバイトもない2日連休なんてもんが出来たら…なんてことを考えてみたりする。実際は、家でボケ~ッと過ごすかもな。いや、やっぱりどこかに出掛けるだろうな。
だが、現実には2日連休なんて有り得ない話である。1日の休みすらないのに。同じ「休みがない」日々でも、もっと充実した「休みがない」日々を送りたいもんだ。
今度、学校サボって、電車に乗って、どこかへ写真でも撮りに行こうかな。
でも、寒いんだろうな。
でも、行き先もないんだろうな。
結局、今まで通りの日常に留まることを選ぶんだろうな。
木、金、土の3連続夜勤を終え、起きたら日曜の午後4時。これにて俺の週末は終了―。
まぁ、これだけバイトしているおかげで、結構好きに自分が買いたいものを買えているから、それはそれでいいのだが、やはり何とも悲しいもんである。
時間がない―。こんなことを考えながら生活している人は結構多いと思う。そんなとき、「何とかして睡眠時間を短く出来ないものか」ということを考えはしないだろうか。俺は、ふと夜勤中にそんなことを考えた。
世の中には短眠型の人間と長眠型の人間がいるという。その例として、ナポレオンは1日に3時間しか眠らなくても大丈夫だったが、逆にアインシュタインは9時間以上眠らなければダメだったという例がよく使われる。自分はどちらのタイプか考えてみてほしい。俺の場合は、後者の長眠型であると思う。1日に8時間程度は眠らないとちょっときつい。しかし、ナポレオンとまではいかなくとも、これを何とか少しでも短眠型に近付けると、実生活においてどのような影響があるだろうか。
例えば、1日に8時間の睡眠を365日とるものとする。8時間というのは1日のうちのちょうど3分の1だから、1年というスパンで見れば、そのうちの3分の1、約122日間はまるまる眠っているということである。
何とももったいない!!とは思わないだろうか。
では、この睡眠時間を1日6時間にしたとしたらどうなるか。6時間というのは8時間のちょうど4分の3であるから、1年のうちの睡眠時間は1日8時間睡眠の際の122日の4分の3、約92日に短縮できる。その差、何と30日!!
1日の睡眠時間を2時間短縮するだけで、1年間でまるまる30日分の時間が作れるのである。これは非常に大きい。
しかし、言うは易し、行うは難し、である。実際に睡眠時間を2時間短縮するのはそう容易いことではない。それに、睡眠というものは体を休めるための行為としての側面より、頭・脳を休めるための行為としての側面の方が強い。自分の適性睡眠時間を無理矢理短縮することで、日中うまく頭が働かなくなってしまってはまさに本末転倒である。
だがしかし、うまく生活リズムを調整して睡眠時間を短縮することが出来れば、大きな時間的利益を得ることが出来る。多少のリスクを伴うけれども、チャレンジしてみる価値はありそうである。
まぁ、これだけバイトしているおかげで、結構好きに自分が買いたいものを買えているから、それはそれでいいのだが、やはり何とも悲しいもんである。
時間がない―。こんなことを考えながら生活している人は結構多いと思う。そんなとき、「何とかして睡眠時間を短く出来ないものか」ということを考えはしないだろうか。俺は、ふと夜勤中にそんなことを考えた。
世の中には短眠型の人間と長眠型の人間がいるという。その例として、ナポレオンは1日に3時間しか眠らなくても大丈夫だったが、逆にアインシュタインは9時間以上眠らなければダメだったという例がよく使われる。自分はどちらのタイプか考えてみてほしい。俺の場合は、後者の長眠型であると思う。1日に8時間程度は眠らないとちょっときつい。しかし、ナポレオンとまではいかなくとも、これを何とか少しでも短眠型に近付けると、実生活においてどのような影響があるだろうか。
例えば、1日に8時間の睡眠を365日とるものとする。8時間というのは1日のうちのちょうど3分の1だから、1年というスパンで見れば、そのうちの3分の1、約122日間はまるまる眠っているということである。
何とももったいない!!とは思わないだろうか。
では、この睡眠時間を1日6時間にしたとしたらどうなるか。6時間というのは8時間のちょうど4分の3であるから、1年のうちの睡眠時間は1日8時間睡眠の際の122日の4分の3、約92日に短縮できる。その差、何と30日!!
1日の睡眠時間を2時間短縮するだけで、1年間でまるまる30日分の時間が作れるのである。これは非常に大きい。
しかし、言うは易し、行うは難し、である。実際に睡眠時間を2時間短縮するのはそう容易いことではない。それに、睡眠というものは体を休めるための行為としての側面より、頭・脳を休めるための行為としての側面の方が強い。自分の適性睡眠時間を無理矢理短縮することで、日中うまく頭が働かなくなってしまってはまさに本末転倒である。
だがしかし、うまく生活リズムを調整して睡眠時間を短縮することが出来れば、大きな時間的利益を得ることが出来る。多少のリスクを伴うけれども、チャレンジしてみる価値はありそうである。
ポスティング移籍について。
結局、松坂の移籍先はボストン・レッドソックスですか。俺は、日本プロ野球界に関する知識では人並み以上のものがあると自負しているのだが、メジャーリーグに関してはさっぱりであるので、レッドソックスがどんなチームなのかほとんど全く知らない。まぁ、移籍することが決まった以上(実際にはまだこれから交渉に入るわけだが、まず間違いなく入団するだろう)、どこに行っても頑張ってほしいもんである。ただ、これまでライオンズブルーのイメージが強かった松坂が、その正反対の色であるレッドソックスのユニフォームを着ている姿はいまいち想像できない。あんまり似合わない気がする。
で、今回はその落札額は約60億円だったとか。高額すぎて何かよくわからん数字ですね。しかしまぁ、その落札額を巡って情報が錯綜しすぎ。当初の報道(スポーツ紙)では『意外と安かった!? 15億円』とか出るわ、しばらくして『レンジャーズ 50億円で落札』とか出るわ、一体何が何だか。で、ひどいのは、最終的に『15日午前10時(日本時間)に日米同時発表』とか言いながら、実際にはその前日に『レッドソックスが50億で落札』とメジャーの公式(!)HPで報道されてたこと。「思いっきり誰かが情報漏らしてるやん!!」って感じですよ。もうね、何か振り回されすぎ。俺も実際そうでしたけど…。
さて、ここからが実は本題。ポスティングシステムによって日本人選手がメジャー移籍する度に、このシステムの問題点などが話題になる。今回の松坂の件に関しても同じ。「選手を投機の対象にしている」「人身売買じゃないか」といった声がそれ。投機がどうとかは詳しくないので何とも言えないが、少なくとも「人身売買ではないだろ」と俺は思う。だって、いわゆる「売られる」立場である松坂本人がそれを「望んだ」結果なのだから。間違いなくそこには松坂本人の意思があるわけで、それを「人身売買」などと言ってしまうのはあまりにもナンセンスだ。
ただ、このポスティングシステムがこのまま存続していていいのかというと、それはちょっと疑問。確かに、このシステムは選手放出に伴う損失(戦力的なものであれ、営業的なものであれ)をその落札金によってある程度補填することが出来る。しかし、実はそれこそが問題なのである。今回の松坂の件について考えてみると、昨年まではいろいろと揉めたにも関わらず、今年はなぜすんなりとメジャー移籍が容認されたかと言えば、「松坂の夢を叶えてあげたい」という球団側の気持ちも少なからずあっただろう(と思いたい)が、それよりも何よりも「どうせFA権を取得した際にメジャーに移籍してしまうのであれば、その前にポスティングを使って移籍させて、その際に落札金をもらった方が得だ」という考えが大きかったことは誰の目にも明らかである。松坂は順調に行けば来シーズン中にもFA権を取得することが出来る状態だった(調べてみて初めて知ったが、イチロー、石井が同制度を使って移籍した際も、2人はFA権取得を翌年に控えていたということである)。
この制度は日本人選手のメジャー流出を助長してしまう制度なのである。球団側はメジャー志向の選手を、FA権取得ギリギリのところまでは何としても引き留める。しかし、来シーズン中にもFA権を取得しそうな状態になったら強く引き留めることもなく放出する。結果として、選手は「夢を叶える」形でメジャーに移籍し、球団は「夢を叶えてあげた」というしたり顔で落札金を得る。果たしてこれが日本球界にとってプラスになるだろうか。
メジャー移籍への踏み台であるかのように日本球界が捉えられている現状には、正直嫌気が差す。
結局、松坂の移籍先はボストン・レッドソックスですか。俺は、日本プロ野球界に関する知識では人並み以上のものがあると自負しているのだが、メジャーリーグに関してはさっぱりであるので、レッドソックスがどんなチームなのかほとんど全く知らない。まぁ、移籍することが決まった以上(実際にはまだこれから交渉に入るわけだが、まず間違いなく入団するだろう)、どこに行っても頑張ってほしいもんである。ただ、これまでライオンズブルーのイメージが強かった松坂が、その正反対の色であるレッドソックスのユニフォームを着ている姿はいまいち想像できない。あんまり似合わない気がする。
で、今回はその落札額は約60億円だったとか。高額すぎて何かよくわからん数字ですね。しかしまぁ、その落札額を巡って情報が錯綜しすぎ。当初の報道(スポーツ紙)では『意外と安かった!? 15億円』とか出るわ、しばらくして『レンジャーズ 50億円で落札』とか出るわ、一体何が何だか。で、ひどいのは、最終的に『15日午前10時(日本時間)に日米同時発表』とか言いながら、実際にはその前日に『レッドソックスが50億で落札』とメジャーの公式(!)HPで報道されてたこと。「思いっきり誰かが情報漏らしてるやん!!」って感じですよ。もうね、何か振り回されすぎ。俺も実際そうでしたけど…。
さて、ここからが実は本題。ポスティングシステムによって日本人選手がメジャー移籍する度に、このシステムの問題点などが話題になる。今回の松坂の件に関しても同じ。「選手を投機の対象にしている」「人身売買じゃないか」といった声がそれ。投機がどうとかは詳しくないので何とも言えないが、少なくとも「人身売買ではないだろ」と俺は思う。だって、いわゆる「売られる」立場である松坂本人がそれを「望んだ」結果なのだから。間違いなくそこには松坂本人の意思があるわけで、それを「人身売買」などと言ってしまうのはあまりにもナンセンスだ。
ただ、このポスティングシステムがこのまま存続していていいのかというと、それはちょっと疑問。確かに、このシステムは選手放出に伴う損失(戦力的なものであれ、営業的なものであれ)をその落札金によってある程度補填することが出来る。しかし、実はそれこそが問題なのである。今回の松坂の件について考えてみると、昨年まではいろいろと揉めたにも関わらず、今年はなぜすんなりとメジャー移籍が容認されたかと言えば、「松坂の夢を叶えてあげたい」という球団側の気持ちも少なからずあっただろう(と思いたい)が、それよりも何よりも「どうせFA権を取得した際にメジャーに移籍してしまうのであれば、その前にポスティングを使って移籍させて、その際に落札金をもらった方が得だ」という考えが大きかったことは誰の目にも明らかである。松坂は順調に行けば来シーズン中にもFA権を取得することが出来る状態だった(調べてみて初めて知ったが、イチロー、石井が同制度を使って移籍した際も、2人はFA権取得を翌年に控えていたということである)。
この制度は日本人選手のメジャー流出を助長してしまう制度なのである。球団側はメジャー志向の選手を、FA権取得ギリギリのところまでは何としても引き留める。しかし、来シーズン中にもFA権を取得しそうな状態になったら強く引き留めることもなく放出する。結果として、選手は「夢を叶える」形でメジャーに移籍し、球団は「夢を叶えてあげた」というしたり顔で落札金を得る。果たしてこれが日本球界にとってプラスになるだろうか。
メジャー移籍への踏み台であるかのように日本球界が捉えられている現状には、正直嫌気が差す。
9時半に一度起床。そこで起きれば、充分2限には間に合ったのだが、どうも体がだるく自主休講することに決定。もう一度横になる。
10時起床。レッドソックスが松坂を60億円で落札との速報。この件については、また改めて書くつもり。
12時。ゼミの説明会。3年入ってからゼミは決めるものだと思っていたので(よく考えりゃそれじゃ遅いのはわかるけど)、「もうそんな時期か」という感じ。何だか、ものすごく無為に日々を過ごしてきた(そして今も過ごしている)ような気がして、何となく元気がなくなる。ただ、ゼミというものが新しい変化を生活に与えてくれるような気もしていて、それが楽しみでもある。自分が入りたいゼミっていうのは漠然と頭にあるが、まだ時間はあることだし、じっくり考えよう。
その後の3限は、しっかり受ける。いつも思うのだが、講義が始まって50分とか1時間とか経ってから教室にやってくる人間の気が知れない。失礼だとか思わないのだろうか。俺だったら、そんなに遅れて出席するくらいなら素直に休むが。
4限。相変わらず、いつものメンバーの出席率は低い。ヨーヘイとギッペは来たが、ヨーヘイはプリントをもらってしばらくして帰った。でも、正直その気持ちはよくわかる。あまり教授だとか、その講義内容だとかを批判したくはないが、あの講義は確かに受けていて辛い。何が辛いかって、その講義において何について話しているのかがわからない、ということ。他の講義においてもそうだが、まず講義の初めに、その日話すテーマなり何なりを提示してほしい。その方が、同じような話の内容であっても学生の理解度はずっと上がる気がするのだが。
というわけで、今日は俺もプリントをもらってしばらくして席を立った。今日は何だか集中できそうもない、と感じたため。
帰り、別に特別な用があったわけでもないが、何となく生協に寄った。このあたり、「人と接したくはない」と思っていながら、どこかで「人と接していたい」と思っている自分を感じる。結局、誰一人知り合いと会うことはなかったが。
面白そうな本を2冊ほど買って帰途につく。

空と同様、何だかパッとしない1日だった。
10時起床。レッドソックスが松坂を60億円で落札との速報。この件については、また改めて書くつもり。
12時。ゼミの説明会。3年入ってからゼミは決めるものだと思っていたので(よく考えりゃそれじゃ遅いのはわかるけど)、「もうそんな時期か」という感じ。何だか、ものすごく無為に日々を過ごしてきた(そして今も過ごしている)ような気がして、何となく元気がなくなる。ただ、ゼミというものが新しい変化を生活に与えてくれるような気もしていて、それが楽しみでもある。自分が入りたいゼミっていうのは漠然と頭にあるが、まだ時間はあることだし、じっくり考えよう。
その後の3限は、しっかり受ける。いつも思うのだが、講義が始まって50分とか1時間とか経ってから教室にやってくる人間の気が知れない。失礼だとか思わないのだろうか。俺だったら、そんなに遅れて出席するくらいなら素直に休むが。
4限。相変わらず、いつものメンバーの出席率は低い。ヨーヘイとギッペは来たが、ヨーヘイはプリントをもらってしばらくして帰った。でも、正直その気持ちはよくわかる。あまり教授だとか、その講義内容だとかを批判したくはないが、あの講義は確かに受けていて辛い。何が辛いかって、その講義において何について話しているのかがわからない、ということ。他の講義においてもそうだが、まず講義の初めに、その日話すテーマなり何なりを提示してほしい。その方が、同じような話の内容であっても学生の理解度はずっと上がる気がするのだが。
というわけで、今日は俺もプリントをもらってしばらくして席を立った。今日は何だか集中できそうもない、と感じたため。
帰り、別に特別な用があったわけでもないが、何となく生協に寄った。このあたり、「人と接したくはない」と思っていながら、どこかで「人と接していたい」と思っている自分を感じる。結局、誰一人知り合いと会うことはなかったが。
面白そうな本を2冊ほど買って帰途につく。

空と同様、何だかパッとしない1日だった。
こんばんは。
だいぶ長いこと放置しておりましたが、また再開しようと思います。
だいぶ長いこと放置しておりましたが、また再開しようと思います。