Y's DIARY

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理不尽

 愛知県長久手町(長久手と聞くと、「小牧・長久手の戦い」を連想するが、それはさておき)で起こった、元暴力団組員による銃発砲立てこもり事件。

 この犯人の男は、警察官に2人の死傷者を出した。最初に現場に到着した木本明史巡査部長は銃で撃たれて重傷、その木本巡査部長を救出に向かったSATの林一歩巡査部長(当時)も同様に銃で撃たれて死亡。
 玄関先に倒れたままの木本巡査部長の姿、銃弾を肩口に受けて崩れ落ちる林巡査部長の姿は、繰り返しテレビで放送されたが、それはひどくショッキングなものであった。

 俺はこの事件のリアルタイム報道を見ていて、犯人に対してものすごい憤りを覚えずにはいられなかった。「警察は何やってるんだ、さっさと突入して犯人を射殺してしまえ!」とまで思った。法的に正しいかだとか、倫理的にどうかだとか、そんなことはもうどうでもよくて、2人の人間を死傷させた(それも己の身勝手な理由で!)この犯人が憎くてたまらなかったのである。

 ここからは俺の持論だが、人を1人殺すってことは、その人1人を殺すことじゃない。人は1人で生きてるわけじゃなく、多くの人に支えられて生きていて、ある意味そうした自分の周りにいる人のために生きているとも言える。その中心にいる人を1人殺すってことは、その周りにいる人にも大きな傷を残すってことだ。それは時に、精神的にその人を殺してしまうほどの大きな傷になるかもしれない。そういう意味で、人を1人殺すってことはその人1人を殺すっていう単純なことじゃないだろう。
 果たして、この犯人の男は林巡査部長を射殺した。男は「殺意はなかった」などとほざいているらしいが、人に向けて銃を発砲しておいて、冗談じゃない。現に、こうして1人の命が失われたのだ。そして、それによって間接的に大きな傷を負った人がどれだけいるかは計り知れない。

 こう言うと、「犯人の男が死んでも、悲しむ人はいるだろう」と言う人がいるだろう。確かにこんな男でも、死んだら悲しむ人はいるかもしれない。しかし、それ以上にこの男がやったことというのは許されることじゃない。異論もあるだろうが、これが俺の建前じゃない本音の考えだ。

 犯人の男が確保される際に、警察がこの男に対して投げかけた言葉が頭から離れない。

「こちらは、あなたを安全に保護したい。ゆっくり出てきてほしい」

 1人の男は凶弾に倒れ、1人の男は「安全に保護」される。

 理不尽な世の中だ。



 この事件が解決した後の近隣住民のインタビューの中で、こんな言葉があった。

「無事に解決して安心しました」

 何が「無事」だ!

 無事だったのは、誰だ?

 わかってる。

 結局、「自分」のことだろう。

 そりゃあ、誰だって自分が一番大切だ。しかし、犠牲者が出た状況で「無事に解決した」なんて言える人間の気が知れない。
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Comments
Wゼミで 
題材にしたらいかが

逆にv-187
>ゐの熊 
ん?
ぎゃ…逆に~~!?

という、お決まりのボケはさておき。

ゼミの題材にはせんが、
今度、Wさんと話そうと思ってる。
あと、母親殺害事件についてもな。

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30代男。
三度の飯より鷹命。

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