Y's DIARY

ありがとう

日常
 それは突然の別れだった。


 1月、正月休みが明けると、また憂鬱な仕事の日々が始まった。
 やるべきタスクが積み上がり、やってもやっても終わらない。
 少しずつ前に進んではいるはずだが、終わりが見えない。

 底なし沼に落ちたような、そんな感覚で毎日を過ごす。

 中旬になると、家に帰り着くのが深夜0時を過ぎるような日も出てきて、心身共に疲労困憊状態となっていった。

 そんな、1月18日、金曜日。

 週末を前にした高揚感などなく、むしろ果たして土日にどれだけ仕事すればいいのだろう、と陰鬱な思いを抱えながら出社。
 いつものように一通りメールをチェックし、1日の予定を考える。
 予定の整理が終わって、仕事に取りかかろうとした午前10時過ぎ、ふとスマホを見ると母親からメッセージが届いている。
 何という心構えもなく、メッセージを開く。

 「おばあちゃんが脳出血で倒れて意識がなく、危ない状態です」

 一瞬、何を言っているのかわからなかった。
 ばあちゃんとはつい2週間前に会ったばかりだ。
 内臓の疾患で入院してはいたけれども、意識はしっかりしていたし、俺の顔を見ると破顔一笑した。
 帰るときには、病室の窓から顔を出して、こちらの姿が見えなくなるまでずっと手を振ってくれた。

 意識がない……?

 もう2週間前に会ったような元気なばあちゃんに会うことはもうできないのかもしれない、ということを言っているのかもしれない、ということを悟ったとき、俺の心の中の防波堤が決壊したのを感じた。

 動揺する気持ちの中、どのくらい危ないのかを母親に尋ねる。

 「もって1日2日、悪ければ今夜まで」

 嘘だろ。急すぎるだろう? この前、「また来るね」って言ったのに。

 それからはもう仕事どころではなかった。
 上司に状況を連絡し、できれば早退して福岡に帰りたい旨をメールで伝えた。
 上司はメールを見るとすぐに直接電話をくれて、「仕事のことは気にしなくていいから早く帰ってあげて」と言ってくれた。
 仕事が佳境を迎えていて、俺が抜けると自分も含めたチームメンバの負担が大きくなるのは明らかだったのに、そんなことは一言も言わずに、むしろこれから帰る前に最低限やっておくべきことを整理して教えてくれた。
 本当に有難かった。

 それから、現時点での仕事の進捗状況を整理し、チームメンバに連絡した上で、12時前に会社を出た。

 一旦家に帰って荷物を整理してから空港に向かうと、どんなに早くても福岡に着くのは18時過ぎになる。
 とにかく生きているばあちゃんに会いたいと、その一心で駅まで走った。

 よりにもよって、このタイミングで人身事故で電車のダイヤが大幅に遅れていたが、何とか最寄り駅まで辿り着く。それが13時前だった。

 そのとき、母親からメッセージが届いた。

 「おばあちゃん、夜までもちませんでした。先ほど亡くなりました」

 息が止まるような感覚を覚えた。
 信じられなかった。
 2週間前に会ったときに撮った写真を見ると、満面の笑みで俺の手を握っているばあちゃんが写っているのに、もう会えないなんて。話せないなんて。

 それから家に帰るまでの道中、涙が溢れてきた。
 正月休みで帰省した最後の日、もう一度ばあちゃんに会いに行こうかと思っていたのに、結局「また会えるから」と思って俺は会いに行かなかった。
 病室にひとり、ばあちゃんは寂しかっただろう。正月に会ったときは、いつになったら家に帰れるのかね、とずっと繰り返し言っていた。

 子供の頃は、共働きで帰りが遅い両親の代わりにじいちゃんと共によく面倒を見てもらって、家に帰るとずっと一緒に過ごしていた。
 いわゆる、ばあちゃんっ子だった。
 大学進学のために関東に引っ越してからは一緒に過ごす時間は少なくなってしまったけれども、実家に帰るといつも嬉しそうな笑顔で迎えてくれた。帰るときには「次はいつ帰ってくるかん?」と少し寂しそうにしながらも、最後は笑顔で手を振ってくれた。
 そんなばあちゃんと一緒にいてあげられる時間はもっとあったのに、それをしなかった自分が本当に情けなく、そして申し訳なくて涙が溢れた。

 それから家で支度を済ませると、羽田空港に向かった。
 こんなにも悲しい思いを抱いて福岡に帰るのは、上京して以来初めてのことだった。

 聞けば、前日の17日には叔父さん一家がはるばる大阪からお見舞いに来てくれていたらしい。
 ばあちゃんはすごく喜んでいて、そしてそのときも元気だったと聞いた。
 もしかしたら、この正月にいろんな人に会えて、安心したのかもしれない。
 穏やかな気持ちになって、ふっと力が抜けたのかもしれない。

 もちろんそれは、残された側の人間が都合よく捉えた理屈ではあるのだけれど、それでも最後に幸せな時間を過ごせたのなら、それだけでも救われる思いだった。

 羽田空港から佐賀空港へ。
 そこから母親の車で迎えてもらって、実家に到着したときは19時をまわっていた。

 棺は仏間に運ばれていた。
 横になったばあちゃんは、普通にただ寝ているだけのように見えた。ふと起き上がって「おぉ、ゆうちゃん、いつ帰ってきとったかん?」と言いそうな穏やかな顔だった。
 しかし、もう言葉を交わすことは叶わない。やりきれない思いで涙が出た。

 斎場の都合もあり、通夜・告別式はそれぞれ20日(日)、21日(月)に執り行われることとなった。
 そのため、斎場に運ばれるまでの2日間、つまり実家に帰った18日、そして翌日の19日は、ばあちゃんがいる仏間でほとんどの時間を過ごした。

 何でばあちゃんがまだ元気に家で過ごしている頃に、こうして一緒にいる時間をもっと作ってあげられなかったのだろう。
 その後悔の念が少しでも和らぐよう、せめて最期は少しでも長い時間を一緒に過ごそうと思ったのだ。

 そして、棺に入れる手紙を書いた。今まで直接言葉で伝えられなかった思いを、そこには書いた。
 何かの歌の歌詞ではないけれど、これまでにもらった生きる力を果たしてどれだけ返せただろう。そう考えると、ずっともらってばかりで、全然返せていない気がした。でもきっと、ばあちゃんは「あんたが元気にしとるならそれで十分たい」と言ってくれるんだろうなと思った。

 告別式では、弔辞を読んだ。
 堂々としていようと思ったけれど、とてもできなくて、何度も言葉が詰まった。でも、棺に入れた手紙の内容に近いことを、最期に直接言葉で伝えることができた。

 会社は火曜日まで休みをもらった。
 金曜の午後から考えると、ほぼ丸5日間仕事のことを考えない日が続いたことになる。

 23日に会社に出社して、仕事の状況を確認すると、自分の担当だったタスクを他のチームメンバに割り振り直して(自分の担当タスクを減らしてくれて)カバーしてくれていた。
 大変な時期に抜けてしまって申し訳ないという思いを伝えると、誰もが「全然気にしなくていいよ」と言ってくれた。
 出ているメールを見ると、自分が抜けた分のカバーもあってか、皆深夜まで仕事している様子なのに、俺に対してはそういった素振りは見せなかった。

 そしてそれは、以前のエントリで「人間関係でのストレスを感じている」と書いたMさんも同じだった。
 「まだ辛いだろうから、早めに切り上げて帰って大丈夫」と言ってくれて、あまり頭を使わなくても済む単純作業のタスクを振ってくれた。

 今の会社は個人主義的な人が多く、「人は人、自分は自分」と割り切って、助け合いというものを感じない職場だと正直思っていた。
 けれども、少なくとも自分がそのとき担当していた仕事の仲間はそういう人たちではなかったのだ。

 そういったところを見ることができず、ただ一面しか見ずに人を評価してしまっていたことに対して自分を恥じた。
 そして、そうした良い仲間のために、少しでも貢献できるように仕事を頑張らないと、という思いが芽生えてきた。

 それからは、皆で協力し、怒濤の勢いで仕事を進め、つい先週無事に完遂のときを迎えることができた。

 心身共に疲弊していたタイミングでの訃報。
 それは、俺にとって辛すぎる出来事だった。
 だけれども、振り返ってみれば、もしかしたらそんなときだったからこそ、ばあちゃんは「ちょっと福岡に帰ってきてゆっくりせんね」、そう言ってくれたのかもしれないとも思った。
 俺の性格上、仕事がきつくても、精神面での不調を理由にしてそれを放り出すことはできない。だから、最期にばあちゃんは俺を助けるために、このタイミングで福岡に強制的に帰らせて仕事のことを考えないでいい時間を作ってくれたのかもしれない、そう思ったのだ。

 仕事から離れたあの5日間がなければ、どうなっていただろう。本当に押し潰されてしまっていたかもしれない。
 そう考えると、俺は最後の最後までばあちゃんに助けられたのだなと思って涙が出た。

 そして、今回の件で、今日元気な人が明日も元気でいる保証はないのだと、身を以て痛感した。
 だからこそ、後悔のないように、今をしっかり生きていかなければならないのだと、改めて思った。
 「また会えるから」という無根拠な前提は捨てて、「今会えている、その時間」を大切にしなければならない。
 それはきっと肉親だけに限った話ではないだろう。知り合い、友人にだって同じことが言える。
 なかなか意識できない難しいところではあるけれど、「今」があることを当たり前と思わず、日々生きていかないとな。

 最期まで本当にありがとう、ばあちゃん。
 仕事の話をするといつも言ってくれた「頑張らやんたい(頑張らないとね)」という言葉を忘れずに、これからも俺は生きていくよ。
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30代男。
三度の飯より鷹命。

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